Geogami’s blog

日々の身の回りの出来事を中心に、 キャリア教育・地理教育 アクティブラーニングなどの教育方法 ICT等の話題を綴っています。

ジオパーク 講話 ラスト

 沼津・三島付近の地形

 
西伊豆の達磨山
 (駿河湾越しに富士山が望める景勝地)はかつて陸上火山
 →かなり広いすそを引いている大型の火山だった。
 その西側は海底に沈んでいる。
 かつては(ダイビングスポットとして知られている)大瀬崎火山
 ・井田火山と達磨山の3火山があった。
 (これはすごい古い火山は西側から順に駿河湾に沈んでいる。)
 
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登山で人気の沼津アルプス
古い海底火山の地形
(だから石材の採石所があるのか!)
 
愛鷹山

・沼津インターの上、沼津ゴルフ場のところは扇状地がある。
箱根山は要注意
・箱根は危険な噴火→火砕流をおこしている(約2.5万~4万年前)
・6.5万年前に箱根は大火砕流が発生、
 東は逗子西は藤川まで、そのエリアでは生物は全滅した!
富士山

・富士山三島溶岩
 (性質はさらさらの溶岩なので)遠くまで届く
 噴火口から三島駅付近まで30㎞流れ下ってきた。

・富士山の東側にある太郎坊あたりから裾野市を通って柿田川まで
・その途中にある

 裾野の景が島、
 には六角柱の見事な柱状節理が見られる。
 三島溶岩が急速に冷えた場所(ジオパークになれば見所ポイントとなる)

・長泉は溶岩流扇状地、溶岩は硬いので浸食されず両側が浸食された、
 かつては黄瀬川と大場川は一本の川だった。

・鮎壺の滝(長泉町の西側)は鮎止めの滝(三島市街の東側)とペアの滝になっている。
・鮎壺の滝は三島溶岩 火山灰・ロームの土が多岐で削られてたきつぼが空洞
三島駅北口・楽寿園・稲荷神社に溶岩の跡が
 (稲荷神社は溶岩が下から押し上げられてめくれたかたちになっている)
・鮎壺の滝には立ったまま燃えた森のあとに溶岩が載ったため溶岩樹形が見える

・長泉にはその他に牛ヶ渕・鎧が淵・つるべ落としの滝等がある。
 
 近年の富士山の活動
・最近一万年前の溶岩
 →溶岩が粘りけが増した
 →山頂で噴火して溶岩の薄皮を貼り付けていく
・3000-2000年前山頂が大噴火
・2900年前に東の嶺が崩れて御殿場を直撃、
 土石流→黄瀬川と酒匂川に流れ込む→その証拠として丸石が見られる。
・その後、横漏れ噴火
伊豆半島側と本州との縫合線が長泉町付近である
 
 これらの活動の後

伊豆半島では陸上に大きな火山ができたあと小さな火山ができる様になった
・カワゴ平火山には「ラパール」という土石流の跡として
 白い石があり狩野川沿いにはよく見られる。

・大室山と城ヶ崎付近は溶岩流の下にかつての海岸線が想像できる。
 
 丹那断層

伊豆半島が現在も本州にぶつかっている場所
 →丹那断層・歴史時代に三回動いて地震がおこった。
・世界ではじめて1936年に東大の久野先生が、
 地形のズレから横ずれ断層を発見
・北伊豆地震で丹那断層のトンネルの先端がずれたというエピソードがある。
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狩野川
狩野川は三島溶岩で出口を失った川(狭窄部)
 田方平野には縄文時代の入り江のあとがある。
 最後に
 我々が暮らしてきた、災害に立ち向かってきた歴史
・もし富士山がなかったら→
 富士山の位置には丹沢山脈が続いて、広い平野は無かった
・溶岩は水の恵ももたらしている
・温泉・食・産業・イベント・文化・鉱床(温泉の沈殿)といった恵み
・さらにこの地は石材が豊富(海底の火山灰が固まった石材である)
・伊豆石等が有名
江戸城やお台場の石垣にも使われている。
三嶋大社の石垣も地元産
 →石を使う文化に火山の神様がまつられていた。
 
震災の歴史

安政東海地震のとき、牛臥山の大朝神社の記録によると、
 下香貫に津波が作った池があった。
 まさに土地に刻まれた震災の歴史。

・「見慣れた地形・風景には、全て意味がある。」

 このコードを通して
 もう一度足元を見つめ直すことから始めよう。