内田修氏は誰よりもジャズを愛した岡崎出身の医師
名古屋大学医学部在学中にジャズと出会いそこから
ジャズに傾倒して行った
こちらがエントランス
内田氏の紹介
1929(昭和4)年岡崎市生まれ。
ジャズを初めて聴いたのは戦後、
ラジオから。大学時代に進駐軍将校と知り合いジャズの生演奏を聴いて、
その魅力にとりつかれる。
1961(昭和36)年、岡崎市内に外科病院を開業。
医業の傍ら、院内にオーディオ、ミキサー、楽器を備えたスタジオを開設、
(写真は当時のスタジオ)
数多くのミュージシャンを迎え入れ交流した。
コレクションのレコードを聴くことができる。
ヤマハ・ジャズ・クラブをはじめ、特色あるコンサートをプロデュースした。
展示室内(受付で申請をして許可を得て撮影しています)
貴重なコレクションが展示されている。
ここには日本のジャズを生涯にわたって支援してきた活動全般の成果と
国内外のレコードや書籍、
ミュージシャンゆかりの楽器や譜面など貴重な資料が展示されている。
国内外で「ドクター・ジャズ」として親しまれていた。
2016(平成28)年12月11日、永眠。享年87歳。
ミュージシャンたちの証言映像は、
内田氏とジャズとの深い関係が、
そのまま日本の戦後のジャズ史につながることを物語っていた。