Geogami’s blog

日々の身の回りの出来事を中心に、 キャリア教育・地理教育 アクティブラーニングなどの教育方法 ICT等の話題を綴っています。

「高校生が3日間ケータイを使わなかったら・・・」後日談

「高校生が3日間ケータイを使わなかったら・・・」後日談

 
 
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   今回生徒達が自主的に
 「せっかく全員で高原教室に行くのだからリアルな会話を楽しもう」
  という視点で生まれた
 「ケータイを使わない3日間」
 この発想のおかげで今回の発見ができました。
 
 
 自発的に
 この発想に行き着いた生徒達の感覚
 「ケータイを使わないことが、行事の1つの目的として成り立つという思考」
 驚きでした。
 
 最初に聴いたとき
 「そんなことができるのか?」
 職員も半信半疑でした。
 (通常本校では、学校での携帯の持ち込み・使用は節度を守ることとし、授業中などは原則禁止です。)
 
 本日、自分のクラスのLHRにて、
 昨日のブログの内容を話したところ、
 生徒達はとても真剣に聴いてくれました。
 
 話の後 
 生徒にこのことについてどう考えているかと尋ねると
「とても大事なことだと思う」という感想
「これっておじさんの偏見かな?」
 そうでもない様子
 
 
 生徒だけでなく
 職場の同僚にもこのことについて意見を聞いたところ、
 部活動を指導している先生方から
「これって部活動の指導でいつも生徒に言ってることじゃないか?」
 という話になりました。
 
 現場では確かに、
 ここに記した内容について
 何となく感じているようです。
 
 今回のことは
  わたしが日々高校生に接している中で、
 「以前と比べて、最近何かへんだなぁ」
 という気づきがスタートでした。
 
 

 ここからは私の勝手な推測ですが、


 今の若者は仲間の情報を得るために、
 特に、
 仲間はずれにされないように
 気に障ることや場違いな発言をしないために
 SNSの会話・情報をチェックし続けなければならなくなっています。
 
 連日そんな日常を過ごしているのではないかと想像されます
 嫌われることを怖がらなければ
 そういったことはしなくて済むと思うのですが・・・
 周りを気にしすぎて
 自分が何者なのか分からなくなってしまっている。
 ケータイの中の自己を演じる
 そんな姿までも勝手に想像してしまいます。
 
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 もう一方の視点として

 「言葉やテキスト」より
 「画像・動画」といった
 インパクトの強い「情報」に
 日常的に大量に接している日々の生活の中で
 言葉(テキストの場合も)による伝達の地位が
 相対的に低下してきているのではないか?
 
今回のことは
       マクロ的視点からも考えて見る必要があるのかも知れません。