「高原教室中はケータイを使わない」というテーマで実施されたので、そこからの発見をレポートします。
3日間の高原教室
生徒が決めた「ケータイを使わない3日間」
そこから見えたもの
高原教室は生徒のリーダーが中心となって企画・運営を行います、
野外炊事やスポーツ大会・工芸・クラススタンツ・合唱・等々
今年も沢山のメニューをこなしました。
野外炊事やスポーツ大会・工芸・クラススタンツ・合唱・等々
今年も沢山のメニューをこなしました。
「ケータイが無い」とどういったコミュニケーションに問題が生じてくるか
B伝える側とA受け取る側で
「上の図」Bの伝える側①で3の赤い線→が意識されていない!
メールやLineで送ると既読の確認ができます
しかし「生(ナマ)」のコミュニケーションでは
伝わっているのか・聴いているのか・そこのレベルが不明
しかし「生(ナマ)」のコミュニケーションでは
伝わっているのか・聴いているのか・そこのレベルが不明
このレベルの世界、ケータイ以前の人類には常識だったのですが・・
さらに、
聴いたことを理解して実際に動いてもらわないとものごとは進まない
聴いたことを理解して実際に動いてもらわないとものごとは進まない
生徒達は
「言えば相手が理解して動いてくれる」・・・
結構簡単に考えているようで
「聴こうとしなかったり」
「言えば相手が理解して動いてくれる」・・・
結構簡単に考えているようで
「聴こうとしなかったり」
「聴く気が無かったり」
「聴いても動いてもらえない」
といったことも経験できました
といったことも経験できました
「生(ナマ)」のコミュニケーションでは
「相手が聴いたか・理解したか・動いたか」が大切という体験ができました。
「上の図」Aの受け取る側②でも3の赤い線→が意識されていない!
メールやLineでは必要な情報は必要な人へ発信者が全員に発信します
だから、
「自分が受け取った情報を他に必要とする人に伝える」
という事に気がつきません。
逆にそういったことをすると
余計なお節介でスマートではないと思われてしまう
ことすらあります。(それ知ってるよ!ウザい)
だからいつしか受け取った瞬間に
だからいつしか受け取った瞬間に
「必要としている人が他にいないか?」
ということは考えないようになっています
ということで
「生(ナマ)」のコミュニケーションでは、
ということで
「生(ナマ)」のコミュニケーションでは、
発信者がひとり一人全員に言うか、
全員を集めなければ伝わらないということが起こります。
「周囲の人がその情報を必要としていそうならばそれを察して教えてあげる」
デジタルの世界に浸ってしまって私たちはこのことをいつしか忘れています。
デジタルの世界に浸ってしまって私たちはこのことをいつしか忘れています。
震災後 石巻を訪れました
(石巻日日新聞) http://news.walkerplus.com/article/24377/ ←壁新聞
「生(ナマ)」のアナログコミュニケーションでは
上の図中BAで「赤い線の→3」の配慮が必要です。