オープンスクール代休日に「狩野川資料館」に行ってきました。
すごく地味な資料館
しかも平日10時から16時にしか入れない。
(ということで貴重な平日休みに訪問)
駿河湾に注ぐ川。
太平洋に注ぐ河川としては珍しく
「北に向かって流れる」
この資料館は「狩野川放水路」の取水口の近くに位置している。
手前の「狩野川放水路」右側の建物の横に「資料館」がある。
伊豆半島は国内有数の多雨地域
年降水量は約3000ミリで
ざっくり言うと東京都の二倍程度
この豊かな水は鮎やワサビといった地の恵みも生み出すが
駿河湾に注ぐ手前で田方平野を蛇行している。
この田方平野だが
実は1万数千年前から富士山の溶岩やその後の堆積物によって
河口付近が狭められラグーン(沼地)化
その後約1.2万年前に大陸氷河の融解による海水面の上昇によって
海水が狩野川に入り込み「古狩野湾」として海に繋がっていた。
その後、堆積物のさらなる流入によって湾が狭まり
今の氾濫原が形成
蛇行を繰り返し
田方平野は戦国時代には源頼朝
そして北条氏といった日本の歴史を大きく変えていく
人材を輩出した土地でしたが、
1年に一度は大きな水害が襲う場所。
江戸時代にこの地を治めた
代官江川太郎左衛門も洪水の度に土堤の改築を指揮したと言われている。
「放水路」の建設
昭和23年の「アイオン台風」の被害をきっかけに
「放水路」の建設が計画された。
これは河川の水を水害の多い下流部に流さず
3㎞の人工水路で総延長の3分の1はトンネルとなる計画
建設途中の昭和33年に「狩野川台風」の被害に遭い
排水トンネルも二本から三本に計画は修正され現在に至っている。
この放水路の稼働は年間数回程度だが
地域の人名と財産を確実に守ってくれている。
資料館には「狩野川台風」被災当時の写真が
撮影位置の略図とともに数多く残されており
自然の脅威を包み隠さず伝える貴重な資料となっていた。
とても地味な博物館だが、一度訪れる価値は充分ある。
災害の現実
多数の命が失われたという現実
忘れてはいけない事実
自然は恩恵も与えてくれるが時として牙をむくことも
自然の力を甘く見てはいけない