鼎談 (今回はかなり通好みの話です)
「『キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書』から十年、 これまでのキャリア教育を振り返る」ダイジェスト
東京都立晴海総合高等学校 千葉 吉裕 主幹教諭
・2004年(平成16年)がキャリア教育元年?
・接続答申平成11年12月に中教審答申で
「キャリア教育元年」とする説もあるが、
これは文部省、「キャリア教育」という定義が出てきてない。
・平成14年に報告書を公表
・平成16年のキャリア教育元年の「キャリア教育」と定義が変わる。
・平成16年のキャリア教育元年の「キャリア教育」と定義が変わる。
・接続答申・キャリア教育元年・中教審の定義の違いは?
定義問題
・昭和59年にキャリア教育というのは
「進路指導の手引き」に取り込まれている。
・平成11年
・自己理解・職業理解進路指導的
・自己理解・職業理解進路指導的
(ニートフリーター問題で接続=就職・職業観勤労観
という所だけでなくキャリア発達の理念もあったが
→時期尚早→入れられなかった。)
平成16年
→学問的(学者が多かったからかな?パーフェクトだが定義が長い)
→学問的(学者が多かったからかな?パーフェクトだが定義が長い)
平成23年
→今の定義(最初の一歩だけでなく次の発展、社会的職業的自立)
→今の定義(最初の一歩だけでなく次の発展、社会的職業的自立)
※ フリーターに滞留していく若者の問題を取りあげた。
「端的」問題
・勤労観職業観が消えた「端的には」という言葉を付けた。
・「端的」問題、この「端的」があるから本筋が見えにくかった、
当時のニートフリーターの状況と予算の分配で。
・「端的」なしでキャリア教育を、
社会にまだ受け入れる土壌がなかった。
・「端的」の所ばかりが見られてしまった。
・当時フリーターニート問題が深刻
→キャリア発達のことも話題にしたかったが、
キャリア教育を推進するためにはこの現状問題の解決
というのが戦略的には有効だった。
・当時の与党(自民)の中では「キャリア教育」と言っていなくて
「職業教育」と言っていた。
「キャリア教育」という当時としては新しかった教育内容がどの様にして10年間かけて普及されていったか、現場からは見えない中央の足取りが語られていました。
(つづく)