Geogami’s blog

日々の身の回りの出来事を中心に、 キャリア教育・地理教育 アクティブラーニングなどの教育方法 ICT等の話題を綴っています。

地球の裏側までフィールドワークしてきました。(後編)

  コルコバードの丘からの帰りなんと反対側の登り登山列車か脱線!駅まで歩くことになったのだが・・・・
 

(昨日の日記の続きから)

 
 途方に暮れていると様子見ていた住民が、声をかけてくれて、代替輸送のバスが行き来している通りまで案内してくれた。しばらくするとミニバンが通りかかり、鉄道の切符を見せて相乗りさせてもらう。
 乗っていた乗客は何でこんなところから乗ってくるのかという不思議そうな顔をしている。とにかく助かった!こうして、駅に無事到着、がんばった南アフリカのお父さんと私にツアー客仲間からビールの差し入れが。
 しばらくすると全員集合で再出発。ロサンゼルスの金持ち家族はとっととタクシーで帰っていた。

 その後、21:00時の予定でサンバショーのピックアップが入っているので、とりあえずシャワー浴びてから、日本からもってきたものでさっと夕食を済ませて返りのフライトのeチェックインも済ませて再出発。
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 ホテルで予約しておいたプラタフォルマショーの夕食無しバージョン。レブロンという高級住宅地にある劇場まで一緒に移動するのはイタリア、メキシコ、ロシア、スペイン、南アフリカのツアー客、実に多彩だ会場に行くと踊り子さんとの写真撮影、踊り子さんがでかい、180cmはあるのでは?一つ20ブラジルレアル(約1000円)一人旅なので自分の写っている写真が極端に少ないから買ってみた。

  ショーは、ブラジルの伝統芸能を一通り演じてくれて実に多彩、参加者も国ごとに声をかけられて参加する。でもやはり中でも最も活気が出るのは「ブンブン」(お尻)と言われるサンバだ。

 真夜中近くまでショーは続きその後ホテルに戻るが、道端の飲み屋にはまだ多くの客が集まっていた。
 
12月28日 (現地最終日5日目)
 この日は夜の10時30分にホテルでピックアップなので、12時のチェックアウトまで荷造り、そしてイパネマ方面に足を向けてみた。コパカバーナからイパネマに向かうとその奥にフレイタス湖が見える。湖に寄り道すると湖畔でレンタサイクルを貸しているではないか。
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早速、値段をきいてみると1時間13レアル(700円弱くらい)IDのコピーを渡すと簡単に貸してもらえた。
気温30℃を超える一周約45分のサイクリングはちょっとオーバーヒート気味になった。
湖にはクリスマスツリーが浮いている。手元に残るブラジル通貨の現金も後30レアル(1500円くらい)と心細くなってきたので、昼食はイパネマの海辺のカフェまでいってカード払いにする。ブラジルでは現金よりカード払いの方が便利だ。国際的に通用するカードを持てるのは一定以上の収入がある人でそうでない人には国内専用のカードもあるようだ。
この、レブロンやイパネマはブラジルきっての高級住宅地でリタイアした老人が多い。コンドミニアムの入り口には必ずガードマンがいて、車や人の出入りとゴミ出しをしている。
犬の散歩をしている人も多いが、散歩できない年寄りは散歩をする人を専属で雇っているそうだ。
その後、海岸端の温度計が35℃を示している中、イパネマ海岸からコパカバーナに向かって歩き出す。熱中症になりそうなので、水ばかり飲んでいる。イパネマ海岸は黒人が多く、日光浴をしている人が多い。
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イパネマ海岸とコパカバーナの海岸の間にはブラジル海軍の施設があり、観光客は見学ができる。夕方になり、ホテルの路地裏にあるスーパーで土産を買って最後にこれまた路地裏でサッカーを見ながらビールを飲む。
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 ここで現地通貨は小銭まで使い切った。そろそろ迎えの時間だ。荷造りと着替えを済ませてロビーでメールをチェックしていると前のソファーに座っていたイケメン男子にアルゼンチンの女子が声をかけて猛烈タックしている。積極的だ!
30分ほど話して良い雰囲気になったので携帯で写真を撮るようだ。そこで「シャッター押そうか?」と声をかけたらとても感謝された。
いよいよ出発のとき。リオ観光の坪井さん夫妻に飛行場まで送っていただく、
週末ともあって凄(すご)く渋滞している。
飛行場に向かいながらガイドさんから聞いた話、
・「この国は豊かで鉄鉱石などの資源も豊富、フルーツや、穀物、肉がとてもたくさん安く手に入る。経済ではなく政治が問題。」
・「以前あったバリグブラジル航空は一族経営で破綻した、その後米国経由で飛ぶのだが最近は米国通過手続きが面倒なため中東経由が人気らしい。」
・「ポルトガルから逃げてきた支配階層はフランス流の王朝を模倣した、そのため服装もヨーロッパ風であり熱帯の気候に合わなかった、そこで高原にあるペトロポリスに宮殿を造って夏でも正装で着るように工夫した。」
・「ブラジルに観光に来る人はホントにブラジルに来たくて来る人」だという、その理由は、ブラジルのビザの取得の煩雑さにある。私もネットで登録申請して限られた執務時間と自分の時間のやりくりしてやっと浜松の領事館にてビザがとれたことを思い出す。
・日本(にっぽん)とブラジルとの間では犯罪者の引き渡し条約が締結されていないなど不便なことが多いが、これは「そっちがそうならこっちもこうだ」といった国家間のメンツのためか。
飛行場で搭乗手続きを済ませ、日本語を学ぶために日本(にっぽん)に向かうブラジル系のロシア人の女の子と話した後、出発ゲートへ、いよいよこれで帰国・・・と思っていると・・・・・
何やら不吉な掲示が・・・「遅延」らしい。予定通りに事が進まないのにはもう慣れた。仕方ないので今回の旅日記をベンチで打っていると黒人の若者が突然、そのノートパソコンを貸してくれないか?と声をかけてきた、何やら、充電コーナーで彼のiPhoneを充電しておいたら盗まれたらしい。
イクラウドで捜そうというのだ。飛行場内しかも出国審査をしてゲート前、ここでも盗難があるという現実に驚く。油断は禁物なのだ。
結局捜したのだが電話は見つからなかった。
途上国での電子機器の価格は想像以上に高い、貧しい彼にとって高価である上仕事の連絡も取れなくなって彼は途方に暮れていた。結局何者かが持ち去ったようで出てくることはなかった。
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 12月29日 6日目
 ブエノスアイレスからリオデジャネイロを経由してドバイに行く搭乗便は結局1時間遅れで出発、最後尾の席を予約したのだが隣の席に大柄で不愛そうなブラジル人が座ったため12時間のフライトはなかなかきつかった。ダイレクトで日本と繋(つな)がっていない便なので乗っているのはアルゼンチン・ブラジル系ばかりで、飛行中会話の声がとぎれることはなかった。ギニア湾沿岸を飛びチャド湖が見えた。ドバイ空港に着いた頃にはあたりは深夜。
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 4時間以上のトランジット待ちとなる乗客にはエミレーツがフードクーポンをくれるという噂を知っていたので、A棟で航空券を見せてクーポンをもらい搭乗ゲートに近いC棟のタイフードレストランで軽食をとる。タイ米ではあるが実に一週間ぶりの白い御飯が懐かしい。
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 12月30日 7日目
 日本行きのゲートが開き中に入る、スペインから観光で東京に向かうという男子2人と話をする。東京行きはリオからの飛行機内と雰囲気は大分変わってとても静かだ。外国人も多く乗っているのだが、
 
 日本に来る外国人も日本人的なのかおとなしい。
 
 もともと我々が日本で出会う外国人は日本びいきであること、これはどこかに記憶しておかないといけない、
 
 日本からの直行便がない世界、英語が通じない世界、そこにも人々の日々の営みがある。
 
 そして彼らの多くは世界地図の端っこの日本のことなど知らない。
 
今回の全移動行程は約40000km、これがもし400年前なら生存率も低い命がけの冒険で3年以上の行程だったと思うと感慨深い。
 
 個として存在感があり、人として尊敬されるそんな日本人が増え、どんどん外に出て行ってその良さを伝えて行く時代が来ることを願った。
 
 とりあえず成田に帰ってこれた!
 
 この50歳の記念の旅では、南米大陸アラビア半島に足跡を残した
 
 (これで北米・南米・アジア・ヨーロッパ・アフリカ・オーストラリアすべての大陸に上陸したことになる。)
 
 日本に帰ってきて、新しい視点でものごとを見ている。
 
 とりあえず オブリガード ブラジル
  世界は広いようで狭い