Geogami’s blog

日々の身の回りの出来事を中心に、 キャリア教育・地理教育 アクティブラーニングなどの教育方法 ICT等の話題を綴っています。

夏のフィールドワーク 石見銀山

石見銀山
大久保間歩(まぶ)一般公開限定ツアー

 
「○○間歩」というのは、江戸時代の坑道のこと。
明治時代になると「○○抗」と呼ばれている。
 
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 一般に入り口は狭いが、中は広い
 その方が管理しやすかったからだ。
 中に入ると外が30℃以上の真夏でも11℃の涼しさ
 というより寒さだった!
 間歩の入り口付近に近づくと冷気が!
 冷たい空気は重たいので谷を伝わって下にゆっくり降りてくる。
 
 
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 間歩の中は「暗く・空気が薄く・水が出る」
 水を抜くためのトンネルも掘られている。
  鉱脈は専門の「山師」が見つける。
   石見銀山は1526年に発見された。
 露天掘りと間歩と呼ばれる銀を掘った跡が見られる。
 間歩は600箇所にも及び
 当時の世界の銀の実に1/3を生産していたという。
 本谷地区に着く
 バスを降りて
 昔の集落跡を確認
 神社が残っている。
 蛇と蜂に注意しながら
 ダラダラとした坂道を歩く
 
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 平らなところには精錬した跡も見られる。
 ただし、初期の頃は「精錬」の技術が無かったため
 博多から朝鮮半島に運び込んで銀を得ていたという。
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 今回はガイド付きの限定ツアーで「大久保間歩」に入った。
 「大久保」というのは徳川幕府初代石見銀山奉行大久保長安からの由来で
  石見銀山で最大の坑道だ。
 
 
 入り口で長靴・懐中電灯・ヘルメットを装備
  大久保間歩には三つの鉱脈が通っており
 坑道に沿って奥に入っていくと
 広い空間が突然広がる
 
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 この空間こそかつて銀をとった場所で「鉱脈」だったのだ。
 今は大空間だけが残る。
 明かりを消すと真っ暗な世界
 当時はサザエの貝殻に油をのせて照らしながら掘ったという
 
 明かりに反応してコウモリが飛び立つ
 えさにしている蛾のの羽が散乱している。
 外に出て
 釜屋間歩まで登る
 
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 かつての街の跡が残っており
 階段やテラスなどの岩盤加工の跡が見られる。
  かつて繁栄した街の跡
 発見されたときは竹林だったそうだ。
 
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