Geogami’s blog

日々の身の回りの出来事を中心に、 キャリア教育・地理教育 アクティブラーニングなどの教育方法 ICT等の話題を綴っています。

市民教育がなぜ求められるようになったのか?(まとめ・メモ)

「市民教育」が、なぜ求められるようになったのか?

・「市民教育」とは社会の構成員としての市民性(シチズンシップ)
 近代教育は国民を形成する教育であったが、
 国際化の進展で一民族一国家という国民国家の代わりに
 「市民」という言葉が使われるようになった。
 ここには、地方自治体・コミュニティーも含まれる。
 もう一つ、
 「国家」に対する知識愛国心でなく
 社会活動に能動的に参加する知識や技能、
 多様な文化が共存する社会にふさわしい価値観・生き方を含めるものだ。
 
 

近代国民国家教育から多文化共生社会教育へ

 
  近代の100年は学校教育の拡大と普及が図られてきた
 現在の国家=近代国家・国民国家
 その領域内において
 国民の活動を管理することが可能だという考え方で運営されてきた。
 そして、その中での価値観は共有されるべきと考えられてきた。
 
 近年、このような考え方が
 グローバル化や知識基盤社会化で
 「動揺」している。
 
 国家が抱える問題を自らの判断だけで解決することは難しくなっている。
 
 人や物が流入する
 グローバル化に対する対応の中で
 それぞれの国が次の世代を育成し
 国民統合を図ったり競争力を向上さるための
 多様な取り組みを模索している。
 
・経済の発展
・国民的アイデンティテイーの形成
・成人にふさわしい個人的な価値観の発達
・犯罪や差別などの社会病理の抑制・・・・・・
 
ところが・・・・・
 予想された結果ばかりではなかった
 ひずみや軋轢も

 公教育をどの様に改革し
 
 これから「多文化社会」(マルチカルチャリズム)にどのように適応させていくべきなのか?

 

「多文化社会」(マルチカルチャリズム)への対応

 
 これは日本だけでなく世界の様々な国でこの問題で悩んでいる。
・人権思想
・近代的民主主義
・近代科学の成果
 これまでの学校はこれらの普遍的価値を礎に発展してきた
 
 ところが
 どの国も社会を構成する民族や文化の多様化が予想以上に早まっている。
 その結果
 多文化社会(マルチカルチャリズム)への対応が迫られるようになった。
 
 公教育をどの様に改革して行ったら良いのか?
 
 先進国で1億人以上の人口がいる日本
 多様になったとはいえまだまだ
 共通の一体感・イデンティティーが存在している
 ワールドカップやオリンピックといった時だけで無く
 様々なニュースに接したとき
 我々は周囲との間に緩やかな繋がりを意識する。
 
 

 途上国では状況は少し違ってる


 
 途上国においては国際化への対応を急ぐあまり
 近代教育を通して
 せっかく育ってきた国民としての一体感アイデンティティーが
 見失しなわれつつある。
 多文化主義の中で
 国民が全体としてまとまっていて
 その国に属しているという意識を持たせることが必要なのだ。
 
 ここで、唱えられているのが
 「市民性教育」・「道徳教育」・「価値教育」の見直しと強化。
 
 多くの途上国ではいまだに
 「国民としてのアイデンティティー」は作るものなのだ。
 

 同じ国民であっても様々な人がいる日常へ

 
 西洋生まれの近代教育だが
 今これを
 誰もが動揺に「学びたい」と思っているのだろうか?

 誰もが同じ事を同じ方法で学ぶ画一的な学校教育
 すでに
 学ぶ側の多様な興味や関心に対応できなくなってきている。
 
 文化は多様化し
 学校以外には多様な見方・考え方がある、
 そのような中でどのように一緒に学んだり
 暮らしたりする事を学ぶか?
 
 そこで
 多文化社会にふさわしい価値教育が必要になった
 

・価値教育とは?

 
 「行動の一般的な指針としてあるいは意志決定をしたり、何かを評価したりするときの判断基準として使われる原則や基準生き方などを教授したり学習すること。」
 
 「価値教育」として各国が取り入れているものは
 「市民性教育」・「宗教教育」・「道徳教育」・「多文化教育」等である。
 これらの価値教育の原則には「複数の価値との共存」という想定がある。
 

・多様性は認めるが、ただし全ての価値を対象とする訳ではない。

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ワールドカップを見ながらこんな事を考えていた。