Geogami’s blog

日々の身の回りの出来事を中心に、 キャリア教育・地理教育 アクティブラーニングなどの教育方法 ICT等の話題を綴っています。

「教えられないこともある?」という発想

ここ数日気になるっているのが
 カールベライターというカナダの学者
 テレビ番組を通して貧困層に入学前の教育を施す。
セサミストリート」を創った人。
 (ヘッドスタートプロジェクト)
 学校も創っている
 
・2002年の出版の「知識の時代の教育と心」の本から
・医学に比べると教育はずいぶん遅れていると言われている
・医学に関しては「これは治せない」というところがはっきりしているが・・・
・教えられないのに、教育では「これはダメだろう」と言えない。
 (これは教えられないという所は明言していない)
 
・我々は「教えられる」「学べる」ということが前提と考えてしまう、
 ホントにそうなのか?
(全部できるというのは科学的ではない、だから「インチキ」っぽい)
 
・世の中には(当然)「教えられないものもある。」という視点
 
・例えば、自分で分かっていても
 小さな子どもに教えるのにとても苦労する様なことって
 無いだろうか?
 
 上手く教えられないけれども
 子ど自身の努力によって得ている部分はある
 
 授業の中でも
 空間を把握する感覚や世界についての知識、
 地図の読図なんて所だとすごく感じる
 世界の現状についての知識、思考などもそうかな 
 
 ベライターによると
・教育改革に臨む人は、
 少なくとも次のことについて
 はっきりした建設的な考え方をするべきとしている
・「学ばせたい何かが、学習者にとってなぜ学ぶに値するか。」
 (なぜそれを教えているの?)

・「様々ある異なる学習目標が実態としてそれぞれ何を意味するか」
 (カリキュラムのトータルデザインのこと?)
・「教えられることは何で。教えられないことは何かを区別する」
 (全てのことが「できる」という前提に立っているがホントにそうなの?)
・「ある領域で発達する通常のコースはどの様なもので
  最適なコースと、劣るコースはどれか、質が劣るとどれくらいダメなのか?」
 (沢山の方が良いのか?適量は?省略できるとしたらどこまで?費用対効果は?)
 
・現場にいると「これが良い」とされるものは
 「適量」を考えずにMAXで与え尽くすことが「善」であり
 「時間と労力が許す限り与えよ」という不文律があるように思えるが
 
 ではそのあたりどうすれはよいの?ってことになるのだが・・・
 
・以上のような研究は一人でするのは無理なので
 「教科内容・教授科学・学習理論」の3つが融合して
 研究していく必要があるというところがスタートか?
 
イメージ 1
 
明日からいよいよ授業再開です!