三宅先生が何を実現したかったのか?
(昨年の2月に三宅先生と個人的にお話でき手から早一年が経ちました)
対談の様子 (第7話まであります ↓ )
アクティブラーニングという言葉が独り歩きしないよう
本質を求める。
本質を求める。
授業の型を使うことについて
「型」を使うことによって見えてきたこと
(この部分が今回最も印象に残った→これも後にまとめて見たいと思います)
学びが変われば「評価」も変わる。
一人一人の変化記録
それを元に授業作りというプロセスを共有
「ひとはいかに学ぶか」という学習科学をベースとしている。
それを元に授業作りというプロセスを共有
「ひとはいかに学ぶか」という学習科学をベースとしている。
21世紀に備えた資質能力は子供たちは元々持っている。
(「思考」・「判断」・「表現」の力はどの子も持っている。ただし6歳までの子どもが「我慢できる」か「できないかで」人生が大きく変わってくるという研究もある。「子どもの貧困」が深刻化する今、「環境」によって違ってくる思うが・・・)
その資質能力を使う授業
それを伸ばす授業
小さい子供も
自分で表現したり使ったり
自然にそれを使いながら伸ばしていく。
それを使いたくなるような状況を教室に作ってあげる。
協調学習
一人一人の答えの表現は違ってくる。
自分で解きたくなるような問いがあれば
子供達が元々持っている資質能力を発揮したくなるような学習環境を作ってあげる
それによって対話的学びが発生し
自分で学びを進めていくことができる。
「ジクソー」では、答えを出すために別々の部品を持っている
だから話したくなる
最初と比べると随分わかってきたと思える。
型が持っているのは
普段は見えづらくなっている個々が持っている多様性を
見えるようにしている。
みんなが違う部品を持っているという
ひとまず自分に一日の長がある。
だから話したくなる
最初と比べると随分わかってきたと思える。
型が持っているのは
普段は見えづらくなっている個々が持っている多様性を
見えるようにしている。
みんなが違う部品を持っているという
ひとまず自分に一日の長がある。
「私には人に伝えたいことがある!」
「私の考えを人に伝えたい」
これがジグソーという型にはある。
「私の考えを人に伝えたい」
これがジグソーという型にはある。
新学習指導要領で目指しているのは
「新しい型」を目指しているのではない
(この辺りは以前から発言したり・書いてきたことと同じ)